丸山ゴンザレスさんは、TBS「クレージージャーニー」に出演し、世界中のスラム街や犯罪が多発している危険地帯を取材するジャーナリストとして一躍有名になりました。
そんな丸山ゴンザレスさんは、一体どんな人なのでしょうか?
どんなふうに過ごしてきたのか調べてみました。
今回は、
- 丸山ゴンザレスは何者?
- 丸山ゴンザレスの若い頃
- 丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーのきっかけ
をまとめてみました!
丸山ゴンザレスは何者?
丸山ゴンザレスさんは仙台出身のジャーナリスト。
その中でも日本の裏社会や海外のスラム街、犯罪多発地帯など危険地帯の取材を多くされていて、自らを「犯罪ジャーナリスト」と名乗っています。
その他にもYouTuberや旅行作家、編集者、國學院大学学術資料センター共同研究員としても幅広く活動されています。
名前:丸山祐介(まるやま ゆうすけ)
生年月日:1977年10月30日
大学:國學院大学、國學院大学院修了
所属:株式会社マルヤマ製作所の社長
ペンネーム:裏社会に関する書籍は丸山佑介、それ以外の荒井裕介など
そんな丸山ゴンザレスさんが、海外の危険地帯を取材するきっかけは何だったのでしょうか。
世界のスラム街や危険地帯の取材のきっかけ
実は丸山ゴンザレスさんは、犯罪ジャーナリストを目指していたわけではなく、考古学者を目指していました。
もともと考古学者を目指していて、あれこれあって挫折しちゃって。ジャーナリストになったのも結果であって、なろうと思っていたわけじゃない。危険地帯とかに踏み込む最初のきっかけって、本当に小っちゃなことなんです。海外の日本人宿とかでちょっと自慢したいとか、居酒屋トークのノリでひとネタあればとか、そういうときのためのネタ探し。もっと面白いものを、もう1歩、もう半歩……とやっていくうちにこうなりました(笑)。
引用元:FILT
20代の頃は、周りに丸山ゴンザレスさんみたいな経験をしている人がたくさんいました。
気づいたらその人たちはスラムなど危険地帯に行かなくなり、同じような経験をしている人が周りからいなくなっていたようです。
そんな丸山ゴンザレスさんが、日本の裏社会の取材をするきっかけは何だったのでしょうか。
日本の裏社会の取材のきっかけ
日本の裏社会の潜入取材をするきっかけは、丸山ゴンザレスさんが出版社で働いていた頃に知り合った人たちの仕事を手伝ったことが始まりのようです。
飲み屋などでサブカル雑誌の編集者やライターと知り合いになりました」
出版社で働く前の底辺時代、新宿でアンダーグラウンドな仕事をしていたため、裏社会の仕組みには精通していた。
知り合ったサブカル雑誌の編集に頼まれ、潜入取材や体験取材を手伝ったためますます詳しくなっていく。
引用元:東洋経済
その後、フリーランスのライターとして裏社会をテーマにした本を出版しました。
格闘技
丸山ゴンザレスさんは、中学生の時に柔道の仙台大会で優勝しています。
格闘技通通信をご覧になって下さった方ありがとうございました🙌🏼HEARTSの会員さんであり、”裏社会ジャーニー”でお馴染みの丸山ゴンザレスさんと!実は大道塾の先輩でもあるんです!#格闘技通通信 #丸山ゴンザレス #裏社会ジャーニー #和術慧舟會HEARTS pic.twitter.com/q0A97blONp
— 中田ザリッチ大貴 Hirotaka Nakada (@Hirotaka_MMA) September 16, 2021
丸山ゴンザレスさんは、柔道はもちろん総合格闘技、空手などで体を鍛えることも好きなようです。
そんな丸山ゴンザレスさんの若い頃をまとめてみました。
丸山ゴンザレスの若い頃
中学生の頃、柔道の仙台大会で優勝するほど強かった丸山ゴンザレスさん。
そんな丸山ゴンザレスさんは、公立の高校に進学する予定でした。
高校時代
丸山ゴンザレスさんは、合格すると思っていた公立の高校受験で挫折し、私立の仙台育英学園高等学校に進学します。
受験の失敗を受け入れることができないまま高校時代を過ごしたようで、同級生とは疎遠になりがちでした。
そんな丸山ゴンザレスさん、子供の頃は考古学者シュリーマンの学習マンガが好きで、高校時代は青春18きっぷを使い大阪の西成に行ったり、島根や奈良の古墳や神社を訪ねたりしています。
この旅行が後の国内や海外を旅行するきっかけになっているのかもしれません。
学外の空手道場に通ったり、官能小説が好きでアルバイトをしたお金で本を買い漁ったりもしていたようです。
そんな丸山ゴンザレスさんは、仙台を離れたいと思っていたようです。
大学時代
丸山ゴンザレスさんは考古学の学部がある國學院大学に入学し、國學院大学院に進学します。
大学時代は空手の道場にも通い、旅もします。
海外旅行は大学2年生の頃の失恋をきっかけに、バックパック1つでタイなどの危険な通りを旅していたようです。
そのころは海外をバックパック1つで旅をするのが流行っていました。
大学2年のとき、格闘技の修行でタイを訪れたことだった。
「バンコクのカオサンロードにある1泊150円ぐらいの安宿に泊まったときに、日本人の筋金入りのバックパッカーに出会ったんです。彼らのいろんな体験談を聞いて『同じ日本人なのに、こんな人がいるのか』とショックを受けた」
以後、途上国を中心に旅を始めた。
引用元:夕刊フジ
初めは自分の体験を面白おかしく話すための「ネタ作り」のために危険な通りに行ったりしていたようです。
後の海外の危険地帯の取材は、このタイの旅行の体験も関わっているようですね。
そんな丸山ゴンザレスさんは、考古学者を目指しましたが、なかなかうまくいきませんでした。
大学院2年生で修士号をとってやめてしまいました。それがしくじりのはじまりでしたね。『私立文系考古学専攻修士号』とか就職ではまったく意味がないんですよ」
引用元:東洋経済
就職氷河期も重なり就職難に。
そして丸山ゴンザレスさんは、考古学者の仕事に就くことができず日雇いのアルバイトなどの仕事をします。
バイト
丸山ゴンザレスさんは20代の頃、日雇いバイトやブラック企業、次第に怪しげなバイトに手を染めるようになりました。
「歌舞伎町に住んでいる、自称出版社の社長宅を掃除して話し相手になると1万円もらえる仕事、コインロッカーに入っている中に何が入っているかわからないアタッシェケースを大阪に運ぶ仕事、警察の知り合いから送られてきた警察限定グッズとか払い下げられた物品をヤフーオークションで売る仕事……などなど変なアルバイトをたくさんしましたね」
引用元:東洋経済
- 歌舞伎町に住んでいる自称出版社の社長宅のの掃除をして話し相手になると1万円をもらえる仕事
- コインロッカーに入っているアタッシュケースを大阪に運ぶ仕事
- 警察限定のグッズや払い下げられた物品をヤフーオークションで売る仕事など
と、怪しいバイトもしていたようでした。
その後、出版社で働き忙しく過ごしました。
26歳で初めて就職した出版社時代やフリー転向後も、裏社会や潜入取材を多く手掛けた。
引用元:OCEANS
このように丸山ゴンザレスさんは、裏社会のことが詳しくなっていきました。
その後、フリージャーナリストとしてメディアやYouTuberとしても活動していきます。
丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーのきっかけ
丸山ゴンザレスさんは、2015年4月から始まったTBS「クレージージャーニー」に出演し、世界中の危険な犯罪多発地帯を取材するジャーナリストとして一躍有名になりました。
4月10日(月)21:00〜クレイジージャーニー2時間SP
— 丸山ゴンザレス (@marugon) April 8, 2023
ゴンザレス in Paris
異国に染まる移民街、ディープ「パリ」取材旅をお届けします。 pic.twitter.com/SoF2n14bE9
その後、クレージージャーニーがきっかけでYouTubeチャンネルを開設。
2020年2月に、自身のYouTubeチャンネル「丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー」を開設し、ヤクザ、半グレ、芸能の怖い話、反社会的勢力などについてわかりやすく解説する内容が支持を集め、登録者数は約70万人という人気チャンネルとなっている。
引用元:MEN’S NON-NO
YouTubeでは、いろいろな視聴者がいることを想定し、わかりやすくバランスよくチャンネル作りを心がけています。
丸山ゴンザレスさんは仕事について、ご自身を犯罪ジャーナリストというだけのことはあり危険は覚悟の上だそうです。
「本当はもっと安全で割りのいい仕事もある」という丸山ゴンザレスさん。
しかし、
活動の根っことなっているのはのぞき見精神、ヤジウマ根性だ。
引用元:産経デジタル
と、好奇心が勝っていることで危険と隣り合わせの仕事ができているようです。
まとめ
今回は丸山ゴンザレスさんは何者?について調べてみました。
丸山ゴンザレスさんは、高校受験に失敗し私立の仙台育英学園高等学校に入学しました。
その後、國學院大学進学後は就職難で希望する考古学者になることができず悔しい経験をしています。
そして日雇いバイトや怪しいバイトを経験し、出版社で働きながら裏社会の取材をするようになりました。
出版社を辞めてからはフリーのジャーナリストとして活動。
TBS「クレージージャーニー」に出演し、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を取材するジャーナリストとして一躍有名になりました。
その後、YouTubeチャンネル「丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー」を開設。
今は目標としていた登録者数100万人超えの人気のYouTubeチャンネルになっています。